2006年04月13日

知られざる強運の艦(ふね)・駆逐艦「響」

 ほぼ1ヶ月ぶりのご無沙汰です。みなさまお元気でしたでしょうか。
 身辺のゴタゴタもなんとかひと落ち着きの気配で、そう頻繁に更新できないとは思いますが、ブログの方は復帰の目途が立ちそうになりましたので、ひとまずここに復帰を宣言いたします。

 さて、予告どおりに今回は旧日本海軍の艦艇のお話です。
 では、参ります。

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tokugata.jpg
(特型駆逐艦第Uシリーズの「天霧」。「響」とは若干外観が違う。)

 1945年8月15日は、言わずと知れた敗戦の日。
 日本にとって、新たな「ゼロ座標」となったこの日において、それでもなお相当数の艦船が日本海軍の手には残っていた。
 活躍の場を失った船たちも多かったが、それでもなおこの日、彼らは臨戦態勢の中にあったのだ。

 最も大きい部類だと、戦艦「長門」や空母「葛城」あたりは、この時点でなお燃料弾薬があれば戦える状態ではあったという。

 だが、最も残存数が多く、かつこの時期に活躍していたのは、駆逐艦や海防艦などの小型艦艇である。

 ここでは、駆逐艦のお話をしよう。

 「神風」型から始まる日本の近代駆逐艦の流れの中で、今回触れる「響」が属する「特型」駆逐艦のグループは、艦隊決戦主義の時代を彩る名艦たちだった。
 その生まれた背景には、海軍軍縮条約があった。
 主力艦である戦艦をはじめとした海軍戦力に大きな枷が掛けられた時代にあって、制限の対象である軽巡洋艦の役割を補完する役割を負うべく、数々の新機軸を投入されて、軍縮条約の枠外ながら強力な戦力となるべく生まれたのが「特型」・・・その中でも第一グループに属する「吹雪」型だった。
 小型軽量の艦体に重武装を盛り込んだ吹雪型は、内外の注目を浴びたものの、設計や建造において不慣れな部分があったり、重心配置の問題があったりしたことで、「第四艦隊事件」に遭遇することにもなってしまった。

 ともあれ、数々の改良を経て、「特型」は日本海軍を代表する駆逐艦としての地位を固めたのだ。
 (特型の解説はこちらを参照願いたい。)

 「響」は、その「特型」の第Vシリーズの2番艦として、1933年3月に生を受けた。
 生まれは海軍舞鶴工廠。
 新しく建造されたこともあって、最初から主砲が対空射撃も可能なB型(後に改良型のC型に換装)とされ、ボイラーも強化されていた。
 日中戦争時には大陸や仏印方面で作戦に従事し、太平洋戦争が始まってからは南方で作戦に従事した。
 ミッドウエー戦の際には、ダッジハーバー攻略の陽動部隊に参加したものの、キスカ島で空襲を受けて竜骨を切断。
 大湊や横須賀で修理の後北方部隊に復帰し、「太平洋戦の奇跡」と呼ばれるキスカ島救出作戦に従事するという栄誉を得た。
 以後はマリアナ沖海戦にも参加し、数多の護衛作戦や輸送作戦に従事した。
 この時には、米潜水艦の雷撃を受けて瀕死の重傷を負うもこれも克服し再び戦線復帰。
 そして、運命の4月7日・・・大和の沖縄特攻「天一号作戦」にも参加予定だったのだが、周防灘で機雷に触雷し破損。参加不能になったものの再び修理を受けて復活。
 以後は日本海方面で船団護衛に当たり、手傷を負ったまま新潟で終戦を迎えた。
 終戦の日にも、玉音放送の5時間前に飛来したB29に対して対空射撃を行うという「最後の一仕事」を終えて無事に終戦を迎えた。

 以後は、他に生き残った駆逐艦たちと共に復員輸送に従事し、1947年に賠償艦としてソビエトに引き渡された。

 ・・・太平洋戦争では、数多くの艦が没したが、その中で駆逐艦たちの生存率が高く、それらの艦たちは復員事業に邁進した後に、賠償艦として各戦勝国に引き渡されていった。
 米英はそのかなりの数を転売しスクラップとさせたが、ソ連や中国はそのまま使用した例が多いと聞く。
 代表的なのは「陽炎」型に属する「雪風」だろう。
 いかなる激戦の中でも大きな損傷も受けずに戦い抜き、大和の最後を看取り、そして戦後は新生中華民国(台湾)海軍の艦隊旗艦「丹陽」として長く海の守りに就いた名艦である。
 しかし、三度の大破から不死鳥のごとく復活し、「暁」型とも言われた「特V型」の生き残りとして最後の最後まで任務を果たした「響」もまた、名艦の名がふさわしいのではないだろうか。

hibiki.JPG

 これは、実家の天井裏から引き揚げた模型。
 250円という価格から見て、多分高校時代に買ったものだろう。
 15か16の若造の頃のおれが、いかなる意図でこの模型を買ったかなんて、もう思い出せないが、この武運の艦の模型を導かれるように買い、そして今なお残しているというのは、ただの偶然だろうか・・・

 (しかし、時代の流れを感じるよなぁ。今同じの買おうと思えば700円はするで。それなりに改良はされてるはずだけど・・・)
posted by はつみ at 21:24| 青森 雨| Comment(3) | TrackBack(0) | 軍事・戦史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
復帰おめでとうございます。
響といえば、ウィスキーを連想してしまいます。
Posted by tacaQ at 2006年04月14日 06:25
ただいま帰りました。

響と雪風・・・
特型や陽炎型は、他の駆逐艦・・・「丙型」と呼ばれる防空駆逐艦や「丁型」と呼ばれる戦時建造の駆逐艦と比べて残存数が少ないんですよね。
対空能力の欠如・・・結局、時世の流れのやむなきな訳なんですが、駆逐艦でこれだけのものが作れるんだという、日本造船技術の粋を極めてそれを見せ付けた艦であったことは事実なんですよ。

そして、建造数に比して損失率が高い戦い・・・輸送作戦や護衛戦という、地味ながら苛烈な戦いに投入されて、その任務に殉じたばかりか、戦後の復員作業に邁進し、賠償役として最後を迎えたこれら小艦艇こそ、まさに「殊勲艦」であり、もっと脚光をあびるべきじゃないかと思います。

・・・しかし、この艦名を見て酒が飲みたくなった私って。
Posted by はつみ at 2006年04月15日 08:25
あ、間違えた。
秋月型は「乙型」だった。
丙型は、一隻だけ作られた高速駆逐艦「島風」だった。
これも面白い艦でしてね。
何たって、航空攻撃で放たれた魚雷を振り切ったってんだから。
Posted by はつみ at 2006年04月15日 08:27
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